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Everyday is a winding road

本質はなんなのか?

この記事に共感している人たちに違和感を感じる。

そもそも席を譲る目的は?

席をお年寄りに譲って褒められる。
最初からお年寄りのために席に座ってもらうために、座らない。

褒められるという視点で見たときに、そりゃ座ってないやつは評価しようがないわけで、褒められないと思う。
揚げ足をとると「電気を使えるのは、普段から命を張って高圧電線を点検している人がいるから、その人にあってお礼を伝えましょう」「電気が使えるのはコンセントを設置してくれたおじさんのおかげなので、お礼を伝えましょう」とかそういったことになってしまう気が。(揚げ足取りすぎなだけですね。)

でも、私が主張したいのは席を譲るという行為は「お年寄りに座ってもらって安全に移動してもらいたい」という目標があってする行為であって、褒められた、評価されたいからする行為ではないと思う。
それを「評価が正しく行われない」という視点で考えてしまうのは違うと思う。

トラブルの回避は評価の問題

トラブル回避を最初から行っているのを評価されないという主張はよくわかる。
私もソフトウェアエンジニアなので、その気持はよく分かる。

しかし、それは評価者へのアピールがたりなのではと思ってしまう?
ちゃんとアピールして評価されなければ、今すぐ転職したほうがいいのでは?

世の中「当たり前のこと」が多くて大変だと思う。 例えば、僕らはお肉を食べるために、屠殺しなくてもいい。代わりに屠殺してくれる人がいる。
肉を食べるときにその人ことを意識するのか?

屠殺に関わっている人が何をしているのか私はしらない。どんな大変なことをこなしているのかも知らない。
加工された肉が手に入るのが当たり前の世の中で、それは難しい気がする。

日頃から感謝の気持ちで生きる

「当たり前のことに」の下には多くの人の苦労や努力がある。
だからこそ、ちょっとしたことでも心のなかで感謝して生きることが重要で、すこし幸せな気持ちで毎日を過ごせる。
想像力を豊かにして、常に感謝して生きていくのが、これからの世の中で必要なことなのではと思う。